【編集部厳選】下関市 × 史跡のおすすめスポット9選!

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平家の一杯水

山口県下関市にある「平家の一杯水」は、観光名所であり史跡でもあります。この場所は、壇ノ浦の戦いで傷を負った平家の武将たちが、命からがら岸に上がった際に見つけた小さな湧水がある場所で、その水を飲もうとしたところ、最初は真水だったが、2度目に飲もうとしたところ、海水になっていたという伝説が残っています。この伝説から、鳥居が建てられています。海沿いの国道9号線上にある石標が目印で、赤間神宮からは少し遠いですが、訪れる価値がある場所です。口コミには、この伝説についての話が多く、歴史に興味がある方には特におすすめです。

【住所】山口県下関市前田町2-1
【電話】083-231-1350

長府毛利邸

山口県下関市にある「長府毛利邸」は、史跡として知られる邸宅です。乳児から高校生まで楽しめるスポットで、大人も一緒に楽しめます。明治36年に建てられたこの邸宅は、武家屋敷を思わせる格調高い日本家屋で、明治天皇の宿泊所にもなったそうです。公開されており、あちこちのお部屋を見学することができます。城下町長府の街歩きの途中に立ち寄るのもおすすめです。

【公式サイト】http://s-kanrikousha.com/mouriteitop.html
【住所】山口県下関市長府惣社町4-10 長府毛利邸
【電話】083-245-8090

旧下関英国領事館

「旧下関英国領事館」は、山口県下関市唐戸町にある観光名所であり、史跡でもあります。2階にはティールームがあり、アフタヌーンティーが楽しめます。口コミによると、ティールームでのアフタヌーンティーがおすすめとのことです。

【公式サイト】http://www.kyu-eikoku-ryoujikan.com/
【住所】山口県下関市唐戸町4-11 2階
【電話】083-235-1906

本陣伊藤邸址

山口県下関市にある本陣伊藤邸址は、史跡として知られています。長府藩の本陣を務めていた豪商伊藤家は、鎌倉時代から続く名家として有名で、坂本龍馬も下関に何度も訪れ、伊藤家の当主と親交があったとされています。龍馬は伊藤家に滞在し、自然堂と名づけた部屋を下関での本拠地としていましたが、京都へ旅立ち、近江屋で暗殺されました。その知らせを受け取ったのは、お龍が滞在していた自然堂だったといいます。

【住所】山口県下関市阿弥陀寺町5-7

高杉東行終焉の地

「高杉東行終焉の地」は、山口県下関市新地町にある観光名所であり、史跡でもあります。ここは、小倉戦争で高杉晋作が指揮する長州軍と幕府軍が激戦を繰り広げた場所であり、高杉晋作はこの戦いで結核が悪化し、桜山神社付近に小さな家を建て、野村望東尼や愛人おうのの看病による療養生活を送っていました。しかし、若さのあまり27歳でこの地で亡くなりました。高杉東行とは、高杉晋作のことであり、彼の最期の場所として多くの人々に訪れられています。

【住所】山口県下関市新地町3-22

菅家長屋門

山口県下関市にある「菅家長屋門」は、史跡として知られる建物です。菅家は代々長府藩の藩医や侍講職を務めた由緒ある家柄で、藩祖・毛利秀元に招かれたと伝わっています。長屋門は、武家の門戸よりも少し広く作られているとのこと。訪れた人からは、歴史的な雰囲気が感じられるという口コミがあります。

【公式サイト】https://www.mod.go.jp/msdf/oz-atg/meisho/choufu/sugake/sugake.html
【住所】山口県下関市長府古江小路町2

高杉晋作療養の地

山口県下関市桜山町にある「高杉晋作療養の地」は、史跡として知られています。小倉戦争の際、高杉晋作は長州軍を率いて幕府軍と激戦を繰り広げましたが、この戦いで結核が悪化しました。そこで、桜山神社付近に小さな家を建て、野村望東尼や愛人おうのの看病による療養生活を送ったのです。現在は、その場所に石碑が建てられており、多くの人々が訪れています。

【公式サイト】http://www.oidemase.or.jp/smartphone/tourism-information/spots/17098
【住所】山口県下関市桜山町3-23
【電話】083-231-1350

萩藩新地会所跡

山口県下関市にある「萩藩新地会所跡」は、史跡として知られる場所です。ここは、1864年に高杉晋作が藩政改革を唱え、萩藩新地会所を襲撃した場所でもあります。萩本藩の出先であったここは、当時の激動の時代背景を物語る貴重な場所として、多くの人々に訪れられています。

【住所】山口県下関市上新地町1丁目2-1

白石正一郎旧邸跡

山口県下関市竹崎町にある白石正一郎旧邸跡は、史跡として知られています。白石正一郎は、萬問屋を営む家に生まれ、国学を学び、西郷隆盛や高杉晋作らと親交を深め、尊皇攘夷の志に影響を受けました。坂本龍馬も一時、この邸に身を寄せていたといいます。正一郎は奇兵隊の会計方を務め、赤間神宮の2代宮司となりました。現在は、赤間神宮の背後の紅石山に奥都城が建てられ、隣には真木保臣の次男・真木菊四郎の墓が並びます。子供と一緒に大人も楽しめ、駅からも近いという口コミがあります。

【住所】山口県下関市竹崎町3丁目8